2015年12月31日木曜日

201-20151231


あっという間に2015年も最後の一日を迎えました。
今年は新たに娘を家族に加え、色々と気持ちの浮き沈みも多い一年だったけれど素敵な日々をいただいたと実感している、とても素敵な一年だった。
来年はまた大きな転機を迎える年になるので、まあ、無理せず、
しかし一生懸命頑張りたいなと思う、とてもとても大切な一年になるから。
僕という人間は家族がそばにいてくれるおかげで形成されていると強く思います。
そんな大切な家族と共に幸せな日々を送れるように、一つ一つをしっかり良い方向に向けて歩んでいきたい。

2015年12月22日火曜日

2015年12月21日月曜日

2015年12月16日水曜日

2015年12月14日月曜日

2015年12月7日月曜日

196-20151207


グリーンランド、定番の場所で集合写真。
修学旅行写真あるあるの場所代は回収されませんでした。

2015年12月1日火曜日

195-20151201


妻と坊主のリフレッシュデイ、天気も良く気温もこの季節にしては暖かい。
とても素敵な一日に熊本はグリーンランドへ。
北九州といえばスペースワールドなのだけど12月は休園日が多く、
タイミングが合わずに仕方がなくよいしょとやってきました。
12月の平日は修学旅行客や一般のお客さんどちらも非常に少なく、
アトラクションをノータイムで楽しみ放題。すばらしい。
恐竜コースターには6・7回は楽しんでいたんじゃないかな。
妻と坊主が楽しむ横で僕は娘とぶらぶら。
ほぼ一日中、腕に抱いていた娘の可愛さにほくほくな気持ちと共に、
明日は腕が上がるのだろうかという心配も在る。

2015年11月30日月曜日

2015年11月27日金曜日

193-20151127


お手洗いの明かりをを鏡越しに。
後方が暗く沈んでいたのでちょうど僕に良い光が降っていました。
何かと参考になりそうなライティング、良い勉強になりました!
どういうところにヒントがあるか分からないね、注意深く生きねば。

2015年11月25日水曜日

192-20151124



2015年、妻の誕生日は心地よい気候と日差しの1日でした。
坊主と妻は雨男女。
しかしどうやら娘にはその資質は備わっていないらしく、よく太陽を覗かせてくれます。
ちなみに僕は曇り男。

2015年11月21日土曜日

2015年11月20日金曜日

190-20151120


お椀との相性、抜群。

2015年11月14日土曜日

189-20151114


毎年恒例。
友人のN氏、結婚をしてからは毎年、撮影をさせていただいている。
コンセプトを持って長い時間を撮影することができれば、それはそれですごく面白いだろうと思うけど、そんなに器用ではないのでとりあえず毎年全力で撮影をすることにしています。
こんな風に、色々な人の時間の経過を記録できるのならば、それはとても素敵なことだねと思う。僕もその時間に介入させていただいている、共有させてもらっている。

2015年11月7日土曜日

188-20151107


壱岐島に撮影で赴いたのだけど、とても素敵な島で心が洗われた。
一番心地よかったのは、音の少なさ。
僕の普段の生活は雑多な音に囲まれて暮らしているようで、
それが心をちくちくと狭めているのかもしれない、なんて思う。
今度、家族を連れていきたいね。

187-20151107


2015年10月28日水曜日

2015年10月26日月曜日

185-20151026

フォーサーズ、インターネット上で散見する写真は底が浅いなんだか良さを感じないような写真が多く、自分の思い描くイメージを描けるのか心配だった。
しかしちゃんと僕が撮影すれば僕の写真になっている、安心しました。
EVFファインダーに可能性を感じる、楽しんで撮影してみよう。

α7も興味はあるけれど、ソニー、と言いますか家電メーカーの売り方は一機種ごとに対する愛を感じないのであまり好きになれない。

2015年10月15日木曜日

184-20151015


坊主の背後に迫る恐怖(可愛い)。

2015年10月3日土曜日

2015年9月24日木曜日

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若松区、脇田漁港フィッシャリーナ。
閉門後は人がおらずなかなか穴場。
視界は広く、斜陽は美しい、なかなか素敵なところです。

2015年9月16日水曜日

181-20150916


適度な刺激と変化は重要だと感じた。
最近、少しルーチンで撮影をしていたことを覚える、いけないね。

先日の婚礼前撮り写真の撮影において、お嫁さんの同級生・ビデオグラファーの方と一緒に撮影を行った。その撮影姿勢や実際に完成した映像を見て、なんだよすっごい素敵じゃないかと危機感を抱く。
危機感というのは、現状の自分にどうやら少しばかり僕は満足していたらしく(恥ずかしいことに)、そんな井の中の蛙の僕に大海が向こうからやってきたわけで、デッドorアライブ、まあそうなると危機感を覚えざるえない。
これはとても嬉しいことだ、やれやれと自分の立っているステージを客観してため息の一つもでそうだけれど、そうすることで改めて次のステージを見据えることができた。

とにかく、がむしゃらに僕は撮り続けていないといけない、慢心なんてまだまだ出来るようなステージに立っていない。いつも思っていたことだけど、日々の精進がより必要だ。
まずは変化を受け入れ、そうすることで新しい世界を模索してみようと、慣れないズームEF24-70mmF2.8IIをメインレンズとして撮影を行ってみたい。
知らないよりも知っている方が、絶対に良いはずだ。
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写真の同僚も僕と一緒に映像を見て、危機感を覚えたのかレンズを新調。
変化には痛みを伴う...主に財布に。

2015年9月12日土曜日

2015年9月11日金曜日

2015年9月7日月曜日

178-20150907


最近の娘トレンド、娘は鍵を口に含むのがとても大好き。

長く乗っていた軽自動車、日産ピノとお別れをした。
間も無く10万キロに達するうえに、車検と修理で2, 30万は費用がかかるということで、
それならば仕方ないねと買い換えることに。
購入したのは中古だけれど、なかなか綺麗で雰囲気も良さげな日産ノート。
乗っていたピノに比べ、室内はとてもリッチだし、シートも良い、静か。
だけど長い時間、いろいろなところに家族で出かけ思い出を共有したピノとのお別れは、
正直センチメンタルな気持ちに強くさせられる。
愛着を持つ、ということは素晴らしくもあり辛いことでもあるんだな。

娘が口に含んでいたのもまさにこのピノの鍵で、新しいノートのそれは鍵が中に収納された楕円形のリモコンキー、もう娘が口に含むことはないだろう。
この写真は、そんなたくさんの時間を共有したピノとの思い出の一つ。

とりあえず僕が言いたいことは、そんなピノへ本当にありがとうということです。
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久しぶりにプライベートでEOSを使うと、すごく綺麗だし撮りやすいしで驚く。
もうこれでいいんじゃないかなー、なんて思ってしまう。
やっぱり一眼レフってすごいね、描写も見事、日本の技術はすばらしいね。

2015年8月31日月曜日

2015年8月26日水曜日

176-20150826


今年の坊主の夏休みは、彼の希望のコーヒーゼリーのためにファミリーレストランに赴くことが多い。
出費がかさむのは少しばかり頭の痛い問題ではあるけれど、あまり彼のために時間を割いてあげることが出来ていないのは実際で、そんな中でちょっとでも良い時間を共有したいと意識するとつい応えてしまう。
好物をすぐ与えたり、彼とのコミュニケーションとしては優れたものではないだろうと懸念するが、うーん。
どうしたものか。

2015年8月18日火曜日

175-20150818


同じ景色を連日見ていると、今日という日の空の美しさ、その希少さを痛感する。
カメラを持って間に合うようにと、久しぶりに8割程度の本気さで走ったような気がする。
(ちなみにそれ以上の気概で走ると高い確率で足をくじく、年を重ねるとはそういうことなのか)
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ビオゴンが修理中につき、手持ち無沙汰でノクトンの35mmF1.2(旧型)を購入してみた。
確かにずっしりと重いが、デザインは僕好みで、そして何よりやっぱり1.2という開放値は色々な可能性を提示してくれる。
何事もトレードオフの関係が成り立つと思う、何かを得ようとすれば何かが損なわれる。
ノクトンによる様々な撮影における幅の広さの可能性は、同時に機動性を損なう一因となる。
さてコンパクトで適度なバランス感のあるビオゴンが良いか、1.2のノクトンが良いか。
もちろん写りの好みも関わってくるとは思うのだけど。

2015年8月13日木曜日

174-20150813


工業高等専門学校、通称"高専"。
後輩のK氏がただいま開催中の合同写真展に来場。
本日は時間がない様子でバタバタと足早に去っていったけれど、
期間中にもう一度足を運んでくれるとのこと、嬉しい。
僕は彼に人間の優しさ、ポジティブな要素を強く感じている。
そんな彼がこうやって会いにきてくれること、自身を鼓舞できるとても嬉しい出来事だ。
時々、なんだか自分はただただ空回りしていて、つまらないことばかりが僕に降りかかり、そんな風に人生は費やされていくのかもしれないね。
なんて落ち込んでしまうときがあるけれど、そうではない。
僕が勝手にそう思って、気付いていないだけなんだ。
ありがとう。

2015年8月4日火曜日

173-20150804


フィルムで撮影した写真は何と言葉で表現すれば、一番しっくりとくるのか分からないけれども、アートフィルターが施されとても素敵な雰囲気で写る。
僕は普段の日常的な写真などを多く撮るのでディジタルの比重が高くなってしまっているけれど、もしも作品を撮るということだけに意識を置くならば、ディジタルは手元に置いておくこともないんじゃないかななんて思える。
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そんなこんなとは別に、僕みたいなプアマンはリッチに最新のM型を購入して、ノクティルックスやズミルックス、アポズミクロンだなんてそんな機材を手に入れ使用することなんてちょっと現実的に難しい。
なのでM型にこだわらず、Leica Xを視野に入れるのもいいかもしれないね、なんて考えも浮かんでくるのだけど、二の足を踏んでいる(恐らく描写も僕の好みだと思う)。
やれやれフットワークが重くなったね、若い頃は良いと思ったらすぐ動いていたのだけど。

2015年7月20日月曜日

172-20150720


久しぶりに見る姿にあっと言う間の時間を感じる。
腕や身体、全てが繊細さを覚える程に細くて、簡単に壊れてしまいそうでドキドキした。
ちょっと鼻が詰まって、呼吸に苦しさが垣間見える様に心臓がキュッとなる苦しい思いをした。
今もまだ危うさを感じる部分もあるけれど、ハムにそっくりだねと笑えるほどにぷくぷくと太り、笑顔から生のエネルギーを分けてもらえる。
また、あっと言う間に親離れする頃にまでなってしまうのだろうか。
日々を緩慢に無感情に過ごさず、集中力を持って時間を愉しみたいね。
疲れちゃうかもしれないけれど、絶対に素敵な時間だと思う。
ゆっくりするのはその後でいいかもしれない。

2015年7月13日月曜日

171-20150713


僕はフィルム写真をアートというわけではなく一般的な使用法、主に日常的な写真を撮影して楽しんでいるので、自分で焼き付けるなんて考えることもなく楽しく撮影し、その結果に一喜一憂している。
ほんの少し前、と言ってもたった数年前のことだけれどフィルムの現像プリントの料金は1,000円を下回っていた。なので気軽にバシバシ撮って、ほいほいと現像プリントというサイクルができていた、しかし最近はフィルム一本撮影するのに2,000〜3,000円なんて当たり前、楽しむという用途にしては費用がちょっと現実的ではない、ワンシャッター切るだけでガリガリ君が一本食べられるかもしれないそんなお値段。
気づけばディジタルで撮影することが多くなり、そして撮影したフィルムも大手カメラ店を除けば郵送という形でしか現像プリントを得ることができないので、面倒だなあなんて冷蔵庫の中に一本、また一本と溜まっていくわけだ。
潜像していた絵が消えちゃうぜ、と先輩カメラマンに示唆されそいつは不味いねとようやく溜まったフィルムを現像プリントに出した。
似たような写真はディジタルでも撮影していたはずなのだけれど、写真、ものとして見る日常の風景はどことなく現実感を感じ、過ぎた時間に対してノスタルジックな感傷を喚起する。娘がまだ産まれておらず、一人だった坊主の表情。いつの間にかなくなってしまった道具。

なくなってしまったんだな、ではなくそこには確かに在ったんだなという気持ち。

2015年7月8日水曜日

2015年7月7日火曜日

169-20150707


どうやら僕のカメラのフォールディング、あまりよろしくなかったみたいだ。
焦点距離50mm程度において、シャッタースピードが1/15秒を下回ると随分と手ブレが目立ち、
そういうものなんだろうねと感度と絞りをカラカラと変化させながら、
極力シャッタースピード1/60秒以上に設定するということを心がけている。
のだけれど、ジョーマクナリーの書籍に度々記されているカメラのフォールディング、
これはとても大切なことなんだよというような説明。
ホットシューから取り外したスピードライトの持ち方もあり、
少し試してみたらなんだかブレが非常に少ないんじゃないかな、これ。
1/8秒以下のシャッターなんて広角でしか利用しないよと思っていたのだけれど、使える。
そして特に驚いたのはピントの合焦率が上がっていること。
想像でしかないのだけれど、がっちりとしたフォールディングが僕のブレを少なくしたことで光もまたブレなくまっすぐオートフォーカスモジュールに届き、それがピントの精度を上げたんじゃないかな、なんて考えている。

とにかくそれなりに写真を生活として取り組んでいたつもりなのだけれど、ここで基本の重要さを確認した。
本当に驚きだ。

2015年7月3日金曜日

168-20150703


生後半年までもう間も無く。
というわけで、家族写真をここいらでもう一度パチリ。
坊主がいつもマイペースなおかげで、パーソナリティーが写し込まれた、
素晴らしいファミリーポートレイトになっているように思う。
そこに写っている人の「らしさ」が写ると、
途端に写真が持つメッセージやストーリー性を帯びる、こうだったよと語りかけてくる。
坊主の線の細さ、足の角度、修復を繰り返している本、表情。
僕はこの坊主の様子を見て、娘が生まれて、寂しい思いをさせてしまっていること、
きっと繰り返し思い出すだろう。そうだ、その分だけ優しくしてあげよう。
例えクオリティが高くなく、綺麗じゃないとしても、そういう要素を持った写真が好きです。

2015年6月30日火曜日

167-20150630


もう間も無く生まれてから6ヶ月の時間が過ぎようとしている。
今になって思えば、とてもとても華奢で少しでも目を離せば消えてしまいそうな存在だったように感じる。
強く、僕を見つめる瞳がとても嬉しい。
最近はよく動くし、よく笑う。そして母と兄に似ている、豪胆。
彼女の健やかなん成長を願うことはもちろんだけど、それに伴い彼女の笑顔をそのままに持続していくためには、
僕の人間としての成長も大いに必要だろう。
僕も一緒に、成長。なんだかいいね。
ただ、僕と彼女との時間の感覚はとても違う。
置いて行かれないように頑張らないと。

2015年6月28日日曜日

166-20150628




5 days Art challenge - 05.
- Sediments.

2015年6月27日土曜日

165-20150627




5 days Art challenge - 04.
- portrait.

2015年6月25日木曜日

164-20150625




5 days Art challenge - 03.
- family.

2015年6月24日水曜日

163-20150624




5 days Art challenge - 02.
- life.

2015年6月21日日曜日

162-20150621




5 days Art challenge - 01.
- street.